小野規インタビュー 〈周縁からのフィールドワーク〉をめぐって
--- 出品作で「周縁」とされているのは「パリ郊外のローカルな現実」です。そこ「からの」フィールドワークとは、どこに、あるいは何へと向かっているのでしょうか?
まず、パリ郊外についてちょっと解説しましょう。
パリ郊外は、20区から成るパリ市の周辺に円環状に展開する広大な地域で、一般的にイメージされるパリとはまったく異なった都市風景が広がっています。 そこにはパリ市の倍以上の人々が暮らし、多くは安価な労働力を提供してパリの社会活動を底辺から支えています。 西部、南西部の一部を例外として、一般的に生活水準はパリ市内より低く、反対に失業率は高く、移民労働者および移民出身者が多く住んでいます。
パリ郊外は一般に「バンリュー」と呼ばれていて、中心としてのパリから社会的にも映像的にも排除されている地域です。 すでに「バンリュー」という言葉のなかに、ある土地から除外される、という意味合いが含まれています。
5年前からパリ郊外の北東部にあるセーヌ・サン・ドニ県(昨年11月の暴動が始まったところです)に住み始めたのですが、あらゆる面でパリ中心部との連続性の欠如を実感すると同時に、この「パリではない」といわれている地域にこそ、パリ、あるいはフランス社会の、さらにはヨーロッパという文明の現在形が色濃く現れているのではないか、と考えはじめました。
一見平凡きわまりないローカルな空間、しかしここにはヨーロッパ植民地の歴史や移民、都市への人口集中といったグローバルな諸問題へと思考を展開していくきっかけになりそうな微小なささくれというかざらつきがあって、それがとても気になっています。
「周縁」としてのパリ郊外は「中心」であるパリによってつくられ、見られ、表象されてきました(同時に見えなくもされました)。 「見ること」と権力は深く関わっていて、その「見る側」に写真も発明以来ずっと加担している。写真家が郊外で好まれないのも故なきことではありません。
90年代から急速に増えてきた、郊外を新しい視覚的テリトリーとして表象しようとする写真作品群にあまり興味を覚えないのは、この視線の問題への意識が感じられないからです。映像の形態は斬新でも、まなざしのありようは旧態依然としています。
「周縁からの」という言い回しには、こうした中心的視線にたいするオータナティヴなまなざしの可能性について考えたい私自身の立ち位置を確認する、という意味合いが込められています。
自身がアジアからの移民、つまり周縁的な人間であるということ。 そして特権的な旅人ではなく、実際に周縁の土地、パリ郊外で暮らし、ローカルな日常から思考していること。 これらを包括する「周縁からの」フィールドワークによって、周縁の風景を自らの風景として引き受けていくことが可能になるのではないか、と希望しています。
また、そうして獲得された周縁からのまなざしは、中心からのそれとは違う、より柔軟で多様なものであると思います。
中心主義的まなざしによって構築された今のヨーロッパは、オータナティヴな視線を獲得することによってしか現在の問題を解決できないでしょう。 周縁を客体ではなく自らの一部として引き受けるということは価値観の転換による苦痛を伴うはずですが、同時に世界へのパースペクティヴを大きく変化させる可能性を手にすることだと思います。
---「グローバルな諸問題について思考を展開していくきっかけになりそうな微小なささくれというかざらつき」とありますが、それはどういったことなのでしょうか。部外者的な視点からすると、その「ささくれ」や「ざらつき」が顕在化したのが、昨年の暴動ということになるのだろうか、とも想像しますが、しかし、小野さんの眼が見出すのは、そうしたネガティブなものだけではないようにも思います。
まず、ポジティブ/ネガティブというタームで考えることをやめたいと思います。 昨年の暴動にしても、それをネガティブとひとことで言い切ってしまうと、政治家の態度とあまり変わらないことになってしまいます。 もちろん車に火をつけても何も解決しませんが、郊外の移民出身者たちは日常的に警察や社会からの差別や暴力を受けている。 むしろよく去年まで持ちこたえたと思えるほどですし、事件の発端となったのは、警察による根拠のない追跡が起こした少年の死亡事故と「社会のクズを掃除する」と発言した内務大臣の挑発でした。
ささくれやざらつきというのは、すべすべとして次第に引っかかりがなくなっていくような現代の社会の表層にたいして、それは同時にステレオタイプなパリやフランスのイメージにたいしてでもあるんですが、異なる文化や生き方の存在を示唆するミクロな記号の群れ、みたいなものです。 道行く人の服装や仕草。 行き過ぎる車から聞こえてくる音楽。 壁の落書き。 ふと耳にする会話のなまり。 路上に落ちているもの。 そんな微細なことから始まって、居住権の取得、住居の購入、育児といった日常生活を通じて体験するできごとや摩擦・・・一見とるに足らないようなことがらの中に、「なにか引っかかるもの」がひそんでいます。
--- 郊外の風景といった、よく問題になるのは、「均質」であったり「殺風景」であったりするその風景が、もともとその土地にあった固有の歴史や風土とも切断されている、ということです。スクラップアンドビルドを繰り返す日本においては、とりわけそういう面が指摘されるわけですが、それはパリの郊外においてはどうなのでしょうか?
サイクルは日本よりずっとゆっくりしていますが、基本的には同様です。 パリの場合も、郊外の特徴ははまず、歴史的・地理的な連続性を断たれた土地であるということです。 さらに連続性の遮断は土地に限らず、多くは移民である住民にもおよんでいます。 でもそうした風景を「殺風景」として否定したり、そこに「時代の感性」やフォトジェニーを求めたりすることにあまり興味はありません。 忘れてはならないのは、郊外の風景はそのまま私たちの社会や経済がもたらした風景であるということです。 私たち自身の暴力性がそこには見え隠れしています。 「殺・風景」は私たち自身の生き方なのだと思います。
--- この連作のなかで「植物」という存在(への視線、関心)が担う役割は、とても重要なものに見えますが
写真を始める以前から、植物という有機体の存在のありよう、そして形態に興味を持ってきました。 とくに樹木という存在には「有機的知性」とでもいえるものが凝縮されていると思います。 形態、構造、生命維持のシステム・・・すべてにおいて高度に洗練・完成されています。 写真の発明直後から多くのパイオニアたちが樹木にレンズを向けてきたのは、19世紀の自然志向という以外に、その有機的形態に凝縮された知性、写真とは別の体系にある知性を視覚化したかったのかもしれません。
荒地の雑草群も一見混沌として無秩序が支配しているように見えますが、実際は一定の生活サイクルのもと、移動や増殖を繰り返しながら変化を続けていく集合的な存在です。 そこには強い存続への希求があり、一気に破滅したりするようなことはありません。
複雑に交錯する有機的なフォルムの集合体は、モダニズム的、幾何学的なフォルムの対極にあるようでいながら、実際はそれをも飲み込み、乗り越えていく存在です。
幾何学的なフレームは、写真のフレームもそうですが、フレーム内のものを取り込み、その外にあるものを排除します。 しかし荒地の雑草は、そこにフレームを設置しても、種子や地下茎によってフレームを乗り越え、いずれフレームそのものを覆い隠してしまいます。
そうしたフレーム/枠組みを乗り越えていく有機的な存在として、荒地の雑草群の複雑なフォルムは、郊外における人間のありようとどこか重なるところがあるように思います。
---「植物」がこの連作においてはたしているのと同様、小野さんの仕事にとってやはり19世紀の写真という「参照系」は、とても重要な位置を占めていると思います。それはどのようなものなのでしょう?
たしかに私の作品の多くは、19世紀の写真との対話のように展開してきています。 19世紀は写真が新しいメディアとして記録性と表現性の両面において大きく発展した世紀ですが、この時期の写真家の幾人かは、まなざしのありよう、対象との距離のとりかた、光への感受性など、実に非凡で器の大きい作家ではなかったかと思っています。 むろん植民地主義とのかかわりなど必ずしも肯定できない部分も多々ありますが、彼らの写真からは学ぶことがいまだに多く、一部を引用し、現代のコンテクストに移し替えてみたいという欲求を感じるのです。
19世紀の写真家たちは一般にプリミティヴな記録写真家という評価をされることが多いですが、それは20世紀以後のアートを指向するモダンな写真を良しとする視点からの物言いだと思います。 モダンとは新しいものを作り続けることにより前に向かって逃走していくことだとボードリヤールが言っていたように思いますが、私自身は今モダンであること、新しいスタイルを発明し続けることにそれほど必然を感じていません。 むしろ後ろを再検証することでより確実に前に進めないか、という思いがあります。 歴史を参考にしながら、瞬間より、ゆっくりと風景にしみ込んだ時間を記録したい。 そのための描写ツールとして写真はなかなかすぐれているし、記録性を追求していくことで表現性が出てくるというパラドクサルなメディアなんだと思っています。
たとえば荒地の雑草のシリーズでは(今回は会場の都合上出品点数が少なく明確に伝わりにくいかもしれませんが)、アルフレッド・スティーグリッツの「Grass」やハリー・キャラハンの写真作品のように、カンディンスキーから抽象表現主義に続くオールオーバーな絵画的表面を指向するモダニスト的展開が想起されますが、それとは違うオータナティヴな可能性を探りたかった。モダニスト的展開とは同時に団地の建築そのものでもあるから。 そうした時、19世紀フランスのフォンテーヌブロー派の写真家が意外な可能性を提示してくれました。 つまり、有機的な現実を抽象的なフォルムに分解するな、光とともに描写せよ、ということです。
[聞き手:増田玲 東京国立近代美術館]